MotoGP 生涯獲得ポイントランキング TOP10



先週のチェコGPに続いて、本日8月10日~12日の日程で、MotoGP 第11戦 オーストリアGPがレッドブルリングで開催されます。

コアなバイクレースファンの皆様はご存知かと思いますが、生きる伝説こと、バレンティーノ・ロッシ選手がキャリア通算375戦となった前戦のチェコGPで、生涯獲得ポイントが6000ポイントを突破しました!

ものすごい記録だという事は解るのですが、一般人の私にはどれくらい凄いか実感がイマイチつかめません・・・

そこで、今日はMotoGP 生涯獲得ポイントランキング TOP10の選手を紹介したいと思います。

※ポイントランキングは、2018年8月10日現在です!




MotoGP 生涯獲得ポイントランキング 10位



マイケル・ドゥーハン (2298pt)

オーストラリア・クイーンズランド州・ブリスベン出身のオートバイレーサー。
1992年以後のエントリーネームはミック・ドゥーハン。
1994年から1998年までロードレース世界選手権500ccを5年連続でチャンピオンを獲得した絶対王者。
ちなみに兄のスコットもオートバイレーサー。


MotoGP 生涯獲得ポイントランキング 9位



トーマス・ルティ(2308pt)

スイス・ベルン州オーベルディースバッハ出身のオートバイレーサー。
9歳からポケットバイクに乗り始め、1999年からスイス選手権を2連覇。
2002年にはドイツ選手権とヨーロッパ選手権にダブル参戦し、それぞれ総合3位、2位となる。
2005年のロードレース世界選手権125ccクラスチャンピオン。
2002年のグランプリデビュー以来、スイス人のダニエル・エップが率いるパドック・グランプリ・チームに在籍を続け、2010年からはMoto2クラスに参戦。
2018年現在はEstrella Galicia 0,0 Marc VDSからMotoGPクラスへ参戦中。



MotoGP 生涯獲得ポイントランキング 8位



ケーシー・ストーナー(2411pt)

オーストラリア・クイーンズランド州出身のオートバイレーサー。
2007年、2011年のMotoGPクラスチャンピオン。
27歳の頃に「僕にとってはもう、レースは必要じゃない。僕は4歳からレースを始めたから、多くの人々よりもキャリアが長いんだ。」という言葉を残し、2012年シーズンをもってオートバイレーサーとしては引退。
現在33歳のストーナーは、家族との生活の合間にドカティのテストライダーを行っており、趣味の釣りやハンティング、ゴルフやラジコンに打ち込んでいる。

アクセルをガンガン開けてスピードをどんどん乗せるタイプ。
とにかくスロットルワークが上手く、電子制御を最小限にして己の手の感覚だけでマシンを操作するのが得意。
子どもの頃のダートトラックレースでスロットル操作の腕を磨いたのが生きたと思われ、リアタイヤのスライド量も尋常でなく、スライドさせてコーナーを曲がる技術は天下一品。

ケーシーのアクセルの開けっぷりとリアタイヤのスライド量を記録した走行データを見た他のライダーが仰天するのはMotoGPの恒例とも言える。
マルコ・シモンチェリは「フィリップアイランドサーキットでのケーシーの走行データを見たが、コーナー出口のアクセルを開けるタイミングが誰よりも早い。びっくりした。」と語っている。

ブレーキングを頑張るタイプでは無く、バトルに滅法強いわけでは無い。
ケーシー自身は、「自分はダートトラックレース育ちだからブレーキングが上手くないのだろうと」発言している。
(ダートトラックレースのマシンにはフロントブレーキが無いから)

セッティングが出ていなくても速く走ることができたので、セッティングを出すのに固執しなかった。
他のライダーがセッティングを詰めるため必死に練習走行を続けている一方で、ケーシーはあまり長く練習走行をせず、さっさとピットに戻っていた。
他のMotoGPライダーに比べて体力が少し劣ることもあり、ケーシーは練習走行のロングランを好まなかった。
「ロングランなど何の意味があるんですか。やる必要が無い」とコメントしたこともある。


MotoGP 生涯獲得ポイントランキング 7位



マルク・マルケス(2761pt)

スペイン・サルベーラ出身のオートバイレーサー。
5歳のときからオートバイに乗り始め、エンデューロレースで活躍し2001年にはカタルーニャ州の地方選手権でジュニアクラスのチャンピオンになった。
翌2002年からロードレースに転向。
2004年以降はエミリオ・アルサモラの指導を受け、2006年からCEVに参戦の後2008年にレプソル・KTMチームからロードレース世界選手権へ参戦。
ロードレース世界選手権125ccクラス(2010年)・Moto2クラス(2012年)のチャンピオン。
2013年シーズンよりロードレース世界選手権MotoGPクラスに参戦し、参戦初年度となる2013年にチャンピオンを獲得。
以降、MotoGPクラスで2014年・2016年・2017年のチャンピオン。

「アリはこの世で一番強く、細く、働き者の生き物だ」と語っており、身長168cm、体重59kgと小柄なマルケスはアリに自分を投影していると思われる。

左回りのサーキットでの成績が非常に良く、マルケスはダートトラックでのトレーニングを若い頃から盛んに行ってきた。
「ダートトラックは左回りのコースが非常に多いので、それゆえ左回りのコースで強いのだろう・・・」とマルク・マルケス自身が発言している。


2013年の冬にチャンピオンを獲ったマルケスは、スペイン首相マリアーノ・ラホイ・ブレイと記念撮影や握手をするイベントを拒否しようとした。
ドルナのCEOカルメロ・エスペラータが「言いたいことは首相に言ってくれていいから、イベントだけはこなしてくれ」となだめマルケスは渋々応じ、ラホイ首相に「税率が高すぎる。このままなら国外に出ます」と言った。

スペインの税率は50%以上、アンドラ公国の税率は10%の為、マルケスは2014年の冬には実際にアンドラ公国に移住しようとした。
アンドラ公国はスペインとフランスの国境の山岳地帯にある小国で、税率が非常に低く、典型的なタックスヘイブン(租税回避地)である。

これをスペインの新聞に取り上げられ、マルク・マルケスは猛烈なバッシングを受けることになった。
「マルク・マルケスはスペインの国費で成長したのだからスペインに税を払うべきだ」との論調だった。
実際、スペインは政府が2輪ライダー育成に乗り出している国柄で、この当時スペインが大不況でみんなロクに利益も出せず税を払えない事態だったことも拍車をかけた。
1週間近くの猛バッシングの後、マルク・マルケスは2014年12月12日にバルセロナで記者会見を開き、アンドラ公国に家を持つがスペインに税金を払うことを涙ながらに表明した。

よくMotoGPを見ていると、マルク・マルケスの父親が映ることが多いと思う。
名前は、フリア・マルケス(Julia Marquez)で、元々は建設系の仕事をしていてユンボなどを操っていたらしい。
2009年のリーマンショックで失業し、丁度その時期にマルクが覚醒して高給取りになったため、常時マルクに帯同する応援団長になった。

フリアさんはマルクとアレックスに「どんなときも笑顔を忘れるな」と言い渡しており、
2人ともこの教えの通りの青年に育っている。



MotoGP 生涯獲得ポイントランキング 6位



マックス・ビアッジ(2892pt)

イタリア・ローマ出身のレーサー。
ロードレース世界選手権250ccクラスでは1994年から1997年まで4年連続でチャンピオンを獲得、最高峰500ccクラス・MotoGPクラスでは年間ランキング2位を3度記録した。2007年からはスーパーバイク世界選手権に活動の場を移し、2010年には同選手権でイタリア人初となるチャンピオンに輝く。 
2012年にはスーパーバイク世界選手権で2度目の世界チャンピオンを獲得し、その後に引退を表明し、現在はグローバルアンバサダーに就任。
スーパーモデルのナオミ・キャンベルは元カノ。
2001年には生きる伝説こと、バレンティーノ・ロッシと表彰式前に殴り合いの喧嘩をし、かなりの武闘派。
ニックネームは「イル・コルサーロ(海賊)」、「ローマ皇帝」など。


MotoGP 生涯獲得ポイントランキング 5位



ロリス・カピロッシ(3215pt)

イタリア・エミリア・ロマーニャ州ボローニャ県カステル・サン・ピエトロ・テルメ出身のオートバイレーサー。
1990年、1991年のロードレース世界選手権125ccクラスチャンピオン、1998年の250ccクラスチャンピオン。
ロードレース世界選手権で1990年から2011年までの22年間にわたって活躍し、引退後はドルナスポーツのアドバイザーに就任し、2016年シーズン末に、レースディレクションにおけるドルナ代表に昇格。

現在はモナコのモンテカルロ在住。
因縁の相手原田哲也とは近所同士で現在はとても仲が良い。

1998年の最終戦で大事件が起き、ロリスと原田は口も利かない間柄になった。
その頃あたりから2人ともモナコのモンテカルロに住んでいて、
車を運転するときに交差点ですれ違ったりするとお互い目をそらし合っていたらしい。

時が流れて2人とも子どもができ、同じ学校に通うようになると、子どもの学校で奥様同士、(イングリッドさんと美由希さん)が仲が良くなっていった。
奥様同士で「ちょっと食事でもしましょう」となって会うようになり、そして旦那に「あんたも来なさいよ」という感じになっていった・・・
ロリスも原田も奥様に頭が上がらないので、(MotoGPライダーは奥様に心配ばかりかけてきて、心理的に負い目があるらしい)奥様の言いつけに従って4人で食事をしていく中で、互いの家に招待しあうようになっていき段々ロリスと原田は関係修復していった。

現在は原田家の雑用をロリスがことごとく引き受けており、バイクの購入やら家具の処分やら、色々親切にしている。

ロリスが非常に親切な人間であることはアルヴァロ・バウティスタも証言している。
アルヴァロは2010年にスズキワークスへ入ったのだが、最大排気量クラスルーキーの彼は
マシンセッティングの出し方がよく解らなかった。
そんな時に助けてくれたのがチームメイトのロリスだった。
ロリスはアルヴァロへアドバイスを送り続けていて、アルヴァロは「ロリスには頭が上がらない。
色んなことを教えてくれた。足を向けて寝られないよ。本当に感謝している」と語っている。
MotoGP育ちのライダーの大半が「ライバルにはアドバイスしない」という態度が多い中、日本では原田との一件で悪役に見られることもあるが、ロリス・カピロッシは本当にいい人で、例外的な存在。



MotoGP 生涯獲得ポイントランキング 4位



アンドレア・ドヴィジオーゾ(3233pt)

イタリア・エミリア=ロマーニャ州フォルリ=チェゼーナ県フォルリンポーポリ出身のオートバイレーサー。
4歳のときに父親からマラグーティのミニモトクロッサーをプレゼントされる。
7歳からオンロード・オフロード両方のオートバイレースに参戦を開始、その後ミニバイクのイタリア選手権を経て、2000年には125ccのアプリリアチャレンジカップでチャンピオンを獲得。
翌2001年にはロードレースヨーロッパ選手権125ccクラスでチャンピオンを獲得、イタリア国内選手権でシリーズ4位を記録した。
2002年よりチーム・スコットからロードレース世界選手権125ccクラスにフル参戦を開始、2004年のロードレース世界選手権125ccクラスチャンピオン。
2005年に同チームから250ccクラスへ昇格すると、5度表彰台に立ち年間ランキング3位に入り、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。
2006年、2007年にはそれぞれ2勝ずつを挙げて、2年連続でシリーズランキング2位となる。
2008年から最高峰MotoGPクラスへ参戦中。

2002年の125ccクラス初参戦の時から2007年の250ccクラスのときまで、ゼッケン34番だった。
1993年の最大排気量クラスチャンピオンであるケビン・シュワンツを尊敬してゼッケン34番を選んでいた。
ところが最大排気量クラスでは34番がシュワンツの功労を讃えるために永久欠番になっているので、2008年に最大排気量クラスに参戦するとき、ゼッケンを4に改めた。
2013年にドゥカティワークスへ移籍してから04と表示し始める。

ドヴィツィオーゾは極めてクリーンなライダーとしても名高く、危険なパッシングを一切せず、安全に上手にパッシングする点においては他の追随を許さない。
2015年のマレーシアGPではマルク・マルケスとバレンティーノ・ロッシの接触事件があったが、その裏でカル・クラッチローとドヴィジオーゾが接触していた。
このことについて、カル・クラッチローはホンダ公式サイトで次のように述べている。

「ドヴィには申し訳ないです。僕が彼を転倒させてしまいました。
彼は最もクリーンな走りをするライダーだったので、絶対に転倒させたくはなかったです。
彼に謝罪し、彼はそれを受け入れてくれました。」

ちなみにカル・クラッチローは決してお世辞を言うタイプの人間ではなく、
思ったことを率直に口にする直言タイプなのである。
そのクラッチローから「最もクリーンなライダー」と評されている。


また、イタリア人ライダーには「ロッシを支持するライダー」と「ロッシを批判するライダー」の2種類が存在する。
ロッシを支持するライダーはすなわちロッシの舎弟なので、ロッシに付き従い大集団になり、ロッシの私設トレーニングコースに集結し、毎週そこで合同練習する。

ロッシを批判するライダーは段々と孤立し、舎弟を持たない一匹狼になる。
誰もロッシに睨まれたくないので、アンチ・ロッシのライダーには若手が寄りつかないのである。

アンチロッシの孤立した一匹狼ライダーの典型は、マックス・ビアッジ、マルコ・メランドリ、そしてアンドレア・ドヴィジオーゾの3人である。
ドヴィジオーゾはビアッジやメランドリみたいに露骨な批判はしないのだが、ところどころでチクリチクリとロッシを皮肉るコメントを出しており、ロッシとはそんなに仲が良くない。
「どこかの誰かさんはマンガ絵をヘルメットにデザインしてカメラの前で人気を取るのに忙しいけど、俺はそういうのに興味ないんだよね」とか、そういうことを言う。
それゆえ、ドヴィジオーゾはあまり舎弟がおらず、一匹狼で孤独にトレーニングに励むことが多い。



MotoGP 生涯獲得ポイントランキング 3位



ホルヘ・ロレンソ(3889pt)

スペイン・バレアレス諸島のパルマ・デ・マヨルカ出身のオートバイレーサー。
2006年、2007年のロードレース世界選手権250ccクラスチャンピオン。
2008年にMotoGPクラスへ参戦。
2010年、2012年および2015年にMotoGPクラスでチャンピオンを獲得。
ホルヘは喜怒哀楽が激しく、さまざまな表情を見せるライダー。
優勝すると機嫌が良くなり、嬉しそうな笑顔になるが、反面、成績が振るわないと不機嫌顔になり、不機嫌モードがずっと続く。
ムスッとした表情で記者会見に応じ、コメントの量も少なくなる。
マルク・マルケスの父親フリア・マルケスは子どもたちに「いつも笑顔を忘れるな」と指導していたが、ホルヘにはそういうことを言ってくれる人がいなかった。
(いることはいるのだが、ちょっとした事情があってすこし離れたところに行ってしまった。)
この不機嫌顔の多さでホルヘは損する事もあり、良いイメージを失ってしまっている。

また、ホルヘは相当の苦労人であり、ちょっとした人間不信に近い状態であるらしく、「100%人を信用することができない。90%ならなんとか信用できる」と語っている。
インタビューしてくる記者に対しても少し警戒心を抱くタイプのようで、無条件で満面の笑みになることが少ない。

一方、ライダーとしてはセッティング能力が高く、ホルヘと接するメカニックたちはホルヘを高く評価している。
「変更を施したら必ず細部まで確認する」「集中力が高く、理論的だ」とのコメントがあり、2017年からチーフメカを務めるクリスチャン・ガバッリーニもホルヘを高く評価している。
また、名物チーフメカのラモン・フォルカダは、ホルヘが「速く走れないが理由が分からない」とは決して言わないと証言している。
必ずどこか理由を見つけて指摘してくるらしい。


MotoGP 生涯獲得ポイントランキング 2位



ダニ・ペドロサ(4102pt)

スペイン・カタルーニャ州出身のオートバイレーサー。2003年のロードレース世界選手権125ccクラスチャンピオン。2004年・2005年同選手権250ccクラスチャンピオン。2006年よりMotoGPクラスにレプソル・ホンダから参戦中で今期で引退を表明。
ゼッケン26番は師匠であるアルベルト・プーチから与えられたもので、プーチは27番をケーシー・ストーナーに、24番をトニ・エリアスに与えた。
Araiヘルメットと契約しており、もともとNOLANのヘルメットを使っていたが、雨天レース時のシールドの曇りに悩まされていた。
2005年のシーズン途中に、チームメイトの青山博一からAraiのヘルメットを借りたら非常に良好だった。
第4戦フランスGPで雨のレースになってもAraiのヘルメットが視界良好であることに感激したダニは、NOLANとの契約を途中解除してまでAraiと契約した。
2015年10月に日本GPで優勝した時から漢字の「侍」が入ったヘルメットを好んで使っている。

非常に繊細なところまで気が付き、セッティングを詰めるのが上手く、レプソルホンダの技術者がペドロサの開発能力を誉めることは散見される。
ダニ・ペドロサは身長158cm体重51kgと小柄で、この体重の低さが大きな武器となっており、軽い体重なので低速からの立ち上がりが速く、立ち上がりを目一杯速くするライディングスタイルで、「立ち上がりを速くして後続をぶっちぎって優勝」というのが勝ちパターン。

反面、ブレーキングはそれほどハードではなく、ブレーキングには筋力を使うので、ペドロサは筋骨隆々というほどではなく、ハードブレーキングにはやや不向きな為、混戦の中、ブレーキングでバシッと抜いて、僅差で優勝・・・というのはやや少ない。

1年8ヶ月年下のホルヘ・ロレンソとはかつて犬猿の仲だった。
あまりに仲が悪いので、2008年にヘレスサーキットで行われたスペインGPで、スペイン国王ファン・カルロス1世が両者の手を取って、無理矢理握手させたことがある。

それでも両者の仲は悪いままだったが2011年頃から雪解けが進み、2012年には完全に和解した。
お互い丸くなり雑誌で対談したり、記者会見で笑顔で会話したり、以前を知るものにとって信じられない光景となった。



MotoGP 生涯獲得ポイントランキング 1位



バレンティーノ・ロッシ(6007pt)

イタリア、ウルビーノ出身のオートバイレーサー。
ロードレース世界選手権参戦以来15年間で9回のワールドチャンピオンを獲得しており、「史上最強のライダー」との呼び声も高い。
バレンティーノは父親のグラツィアーノに続いてグランプリレーサーとしてのキャリアを1996年から始める。
125ccクラスにアプリリアでデビューし、翌年には初の世界タイトルを獲得する。
1998年には250ccクラスにステップアップ、1999年にタイトルを獲得。
2000年には最高峰の500ccクラスにホンダからステップアップし、翌2001年にはタイトルを獲得した。
MotoGPとなった2002年、2003年にもタイトルを獲得し、翌2004年にヤマハに移籍。
2004年および翌2005年にもタイトルを獲得した。
2008年と2009年にもタイトルを獲得し、2011年にはドゥカティに移籍するが在籍2年間無勝利。
2013年にヤマハに復帰し、現在ヤマハ・ファクトリー・レーシングチームに所属。

ゼッケンナンバーについては、1990年から1992年までバレンティーノはミニバイクをしていて、そのときに46番を付けていた。
父親グラツィアーノから与えられた日本GPのビデオの中に、雨の鈴鹿サーキットをもの凄い速さで走るゼッケン46の日本人ライダーがいて、その走りに魅了されて46を選択した。
この日本人ライダーは一体誰なのかというと、おそらく1988年日本GP予選の伊藤真一ではないか?と言われている。
1993年から1995年まで46番を付けず他の番号を付けていたが、1996年からMotoGP125ccクラスに参戦することが決まったとき、バレンティーノはどの番号にするか
迷っていた。
父親グラツィアーノの番号にしようかと調べてみると、1979年にグラツィアーノが46番を付けてMotoGP250ccクラスを走っていることが解り、その年に3勝していた。
おまけに1979年はバレンティーノが生まれた年で、これで運命を感じバレンティーノは46番を現在も使用している。

ライディングとしては、ロッシはブレーキングが得意で、当然パッシングも上手い。
このため予選では順位を上げることにこだわらずマシンセッティングに集中し、決勝を低い順位からスタートしてズバズバ抜いていく戦術を採ることが可能。
彼ほどのライダーにしてはポールポジションの数が少ないが、パッシングの上手さがレース結果にも現れている。

一方、アクセルワークは、ケーシー・ストーナーのような超人レベルではない。
ケーシーは電子制御をできるだけ無効化させて、アクセルをバンバン開けるライディングを好んだが、ロッシはそこまでアクセルワークが化け物レベルというわけではない。
ロッシはわりと電子制御をキチッと効かせてエンジン出力を抑えるタイプである。

マシンセッティングを出すのが上手く、僅かなマシンの差を敏感に感じ取りメカニックに上手に伝えることができる。
ロッシは金・土の2日間で苦戦するも日曜日にはセッティングを上手く出してきて、一気に戦闘力を向上させる姿をしばしば見せる。
反面、セッティングがでないと苦しむ傾向が見られる。
「セッティングが出ていないマシンだと攻められない」とロッシが認めていたこともある。

また、ロッシはレース以外でもロッシはメディアを通じた精神攻撃をするのが得意である。
メディアを通じて一方的に皮肉と非難をし、公開の場で言い合いをすることはせず、相手に反論させる機会を与えないのがロッシ流。

この精神攻撃の犠牲となったのはマックス・ビアッジ、セテ・ジベルノー、ケーシー・ストーナーだった。
ケーシー・ストーナーへの精神攻撃は2007年から2010年まで続き、おかげでケーシーはヨーロッパのすべての国でブーイングを浴びることになった。
ケーシーは「ブーイングを浴びなかったのは日本とオーストラリアだけだ」と日本のイベントで語っている。

2011年と2012年にドゥカティワークスで悪夢の2年間を送ったことを機に、ロッシは精神攻撃を止め、数年はなりを潜めていたが、2015年10月22日にマルク・マルケスに向け、記者会見の場で水をごくごく飲みながら(ロッシは緊張すると水を飲みまくる癖がある)
久々の精神攻撃を披露。
現在もマルクに向け激しい精神攻撃を繰り広げている。


いかがだったでしょうか?
ぶっちぎりでロッシが1位となりました。
私としては、ドゥーハンよりもルティの方が上だったのは意外でした。
往年のライダーよりも、近年のライダーの方が多くランクインしているのは、どう分析すればよいのでしょうか?
来年からはMoto-eも開催され、MotoGPは新たな幕開けとなります。
生涯獲得ポイントで、バレンティーノ・ロッシを超えるライダーは今後現れるのでしょうか!?




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コメント

  1. Moto-eはテクノロジー的にフィードバックされていいのでしょうが、興行的にはどうなんでしょうか?
    以前、テレビでFIA フォーミュラE選手権を観ましたが、キュイーンというモーター音、ザッザッキュキュというタイヤの音がほとんどで、現地で観たいか?と言われたら…うーんですね。

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  2. moto-eに関しては、興行はおいおい考えていくような気がします。
    「とりあえず、内燃機エンジンから電動モーターへの以降の流れがあるので、乗っかった」みたいな感じでしょうか?
    moto3、moto2、motogpクラスのライダーが混走になるので、「下のクラスのライダーが上のクラスのライダーより速い」という事が出てくるかもしれません。
    その辺が興業に結びつく可能性もあるとおもいます。

    返信削除

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