非常に悲しいニュースです。
WGPで活躍したドイツ人ライダーのラルフ・ウォルドマンが、51歳という若さで3月10日に心臓発作でこの世を去りました。
日本人ライダー全盛期の時に活躍していたライダーですので、皆さんの記憶に残っていると思います。
96年のGP250クラスでビアッジとのタイトル争いは素晴らしいものでした。
急な事で驚きを隠せませんが、安らかに眠って下さい。
ウォルドマンはドイツの国内レースでGP80からキャリアをスタートさせ、1986年にリエフのマシンを駆り、WGPへ参戦しました。
1989年には、リエフのマシンでGP80とGP125へ参戦し、1990年からは、JJコバスのマシンでGP125へフル参戦しました。
翌年の1991年にはホンダのマシンに乗りGP初勝利を挙げ、以後順調にキャリアを重ねていきました。
1996年には250ccクラスでマックス・ビアッジと熾烈なチャンピオン争いを展開し、わずか2ポイント差でタイトルを逃しランキング2位となります。
1998年にはケニー・ロバーツ率いるチーム・ロバーツに招かれ500ccクラスに挑戦するも、モデナスのマシンはとにかく戦闘力が低く、ランキング14位と目立った成績は残せなませんでした。
翌年の1999年は再び250ccクラスへ戻り、アプリリアのマシンで参戦し、2002年に引退を発表します。
しかし、2002年の引退発表から1年経たずに、2003年にMotoGPクラスへ新たに参戦するハリスWCMと契約し現役復帰発表します。
ハリスWCMと聞いて思い出した方も多いと思いますが、ウォルドマンの現役復帰は幻となってしまいます。
ハリスWCMが新たに開発したマシンは、市販車のYZF-R1のエンジンをベースとしていることが解り、当時のテクニカルレギュレーションの「プロトタイプのマシンのみ参戦可」の条文に、多くのエンジンパーツをYZF-R1と共用しているハリスWCMのマシンが抵触していると判断されたからです。
この一件でウォルドマンはレースに参戦することなくチームを去りました。
2009年にGP250で、ウラジミール・レオノフの代役として7年ぶりにグランプリ復帰を果たすもリタイアでレースを終えています。
ウォルドマンは、軽量級と中量級で通算20勝を挙げ、MotoGP優勝ランキング上位40人の中で唯一タイトルを獲得できなかったライダーだそうです。
最近ではEurosportのMotoGP中継でリポーターをしていて、私はいつもEurosportでMotoGPを観戦しているので、あんなに元気だったウォルドマンが亡くなったなんて今でも信じられません。
昔のライバル マックス・ビアッジとのツーショット |
私の中で一番印象に残っているレースは、1997年のアッセンです。
当時、原田哲也 選手のファンでして、ウォルドマンと原田選手が抜きつ抜かれつのバトルを繰り広げた あの興奮は今でも忘れられません。
素敵な走りをありがとうございました。
安らかに眠って下さい。
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