ニッキー・ヘイデン選手を偲んで

5月12日から14日まで行われていたWSBK第5戦イタリア ラウンド (イモラサーキットで開催)を最後にニッキー・ヘイデン選手はサーキットへ戻ってくることは無くなりました。


事の起こりは、5月17日 イタリアのリゾート地 リミニで自転車でトレーニングしている最中にヘイデン選手は車と衝突して胸と頭に重傷を負いました。当初はリミニの病院へ搬送されましたが、容態は改善せず、より高度な医療活動が行えるチェゼーナのブファリーニ病院へと移りました。依然重篤な状態が続き、広範囲にわたる脳浮腫、片足の複雑骨折からの大量出血。脊髄の損傷はないものの、背中にも複数の骨折を負い、頭蓋および胸部に負った多発性外傷により手術できない状態が続き、容態はその後変わらず、5月22日の現地時間19時09分にヘイデン選手は他界しました。非常に残念です。記事を書いてて知ったんですが、事故に遭遇した2017年5月17日のちょうど1年前の2016年5月17日に恋人ジャッキー・マリンと婚約してたんですね・・・今回の記事はヘイデンの今までのレース人生を個人的な感情を踏まえつつ振り返ってみたいと思います。



ニコラス(ニッキー)パトリック・ヘイデンは1981年7月30日に父アールと母ローズの間に生まれました。
ヘイデン兄弟は兄のトミーはAMA 弟のロジャー・リーはWSBKに出場したこともあり、 姉妹にキャスリーンとジェニーがいます。
妹ジェニーは少女時代、ダートトラックレースでアマチュアチャンピオンになったことがあり、まさにバイクレース 一家に生まれました。

両親がダートトラックのライダーだった事もあり、ヘイデンも3歳になる頃にはバイクに乗れるようになっていました。
5歳の時、兄であるトミー弟のロジャー・リーと共に、ヘイデン家が所有する手作りのコースで、レースを始め物心ついたころからバイクレースに明け暮れる毎日でした。

この頃既に彼のゼッケンナンバー69を使ってます。
この69という数字は父であるアール・ヘイデンが使っていたゼッケンナンバーのお下がりなんです。
父のアールが言うには「“69”は上下を逆にしても数字が変わらずに読める。いつもダートでクラッシュしてひっくり返ってばかりいた自分は、だからこの数を選んだんだ」という理由で69番を使っていたらしいです。


その後ヘイデンは、ミニバイクレースを始め、色んな草レースに出場し、勝利してきました。
そして、ヘイデンは16歳でプロのライダーとなることを決め、1997年のAMA750と600スーパースポーツクラスに出場しました。

翌年の1998年スズキのサテライトチームに移籍し両カテゴリーで勝利を収めました。

1999年にはホンダとファクトリー契約し、ErionからAMA600クラスで、史上最年少のチャンピオンとなりました。
そして2000年にはAMAスーパーバイクに昇格し、ファクトリーチームのマシンを走らせ、2002年AMAスーパーバイクの最年少チャンピオンになりました。



そして、2003年AMAから、いきなりMotoGPに昇格。
今では考えにくい昇格の仕方かもしれませんが、当時のMotogpは2002年より2ストローク500ccのバイクと990ccの4ストロークの混走になり、レースが始まるまでは2ストが有利なのか、4ストが有利なのか様々な議論もあり、前年GP500のチャンピオンに輝いたバレンティーノ・ロッシにドゥーハンが「来年も熟成された2スト500で走ってタイトル取ったほうが良いんじゃない?」と助言するほどでした。
しかし、シーズンが開幕して見ると4ストロークマシンの方が圧倒的に速かったのです。
もはや2ストじゃ勝てない!という状況になり、(まぁ非力な2ストロークマシンのNSR500で2位に食い込む天才ライダー加藤大治郎がいましたが・・・)
シーズン途中から2ストロークマシンは減り、4ストロークに移行されました。
そして、2003年の開幕前に「もしかしたら、今まで2ストロークのバイクでレースしてたGPライダーよりも市販車4ストロークマシンでレースしてるWSBKやAMAのライダーの方が速いんじゃないか?」という考えが生まれ、2003年はWSBKチャンピオンのトロイ・ベイリス AMAチャンピオンのコーリン・エドワーズ WSSからアンドリュー・ピットと共にMotogpの世界にやってきました。




ヘイデンが所属したチームはレプソル・ホンダ 前年度王者のバレンティーノ・ロッシのチームメイトとなりました。
彼のMotogpデビューレースは、2003年第1戦の鈴鹿サーキットでした。
偉大な日本人ライダー加藤大治郎 選手がレース中の事故で亡くなったレースでもあるんですね。
AMAからやって来たヘイデンは市販車レース組で一番若く、WSBKの王者ベイリスよりも好成績でシーズンを終わり、ルーキー・オブ・イヤーを獲得しました。

当時見ていた私は「すげぇ奴がMotogpにやって来た!」と驚きました。
あの頃の4stマシンは今の様に電子制御満載では無かったこともあり、立ち上がりはリヤから煙を出しながら立ち上がっていました。
何が凄いかって、ダートラで鍛えたスライドコントロールが上手い!!
侵入スライド、パワースライドを巧みに操り走るヘイデンは他のどのライダーより華がありました。
いかにもアメリカンライダーって感じの走り!!
この先ヘイデン以上にアメリカンライダーらしいライダーは出てこないんじゃないでしょうか?
スライドに無駄が無いんですよね。豪快に見えて緻密なんです。
スライドが得意なライダーでギャリー・マッコイが当時いましたが、彼の走りの対極の走りとでも言いましょうか。
当時、現チームアジア監督の岡田忠之さんが彼は乗り方がどのHRCライダーとも違い特殊なライダーと中継の際に言っていたのを覚えています。

2004年は怪我をして成績も不振に終わりましたが、2005年に母国アメリカ ラグナセカでブッチギリの初優勝を遂げます。
初勝利をあげたラグナセカ

そして、990cc最後の年となる2006年彼はついにMotogp年間チャンピオンになるのです。
この年のヘイデンは神がかっていました。
と、言うのも彼は常にレースの中で最速ライダーというわけでは無いのですが、派手なライディングとは裏腹に、手堅く表彰台を積み重ねて行った結果でした。
最終戦までタイトルを争った年間ランキング2位のロッシはこの年、倍以上の5勝しています。
中でも忘れられないのが、エストリルで行われた、第16戦ポルトガルGPです。

着実に表彰台を積み重ねてきたこともあり、第11戦アメリカGP終了時点では、2位のロッシに対し51ポイントの大差を築いていたのですが、そこからロッシが猛烈な追い上げを見せ、最終戦の1レース前の第16戦ポルトガルGPで、ヘイデンはチームメイトのダニ・ペドロサの 無理な追い抜き に巻き込まれて重要なレースをシーズン初のリタイヤに終わることとなります。
あの時の激高したヘイデンがいまだに忘れられません。


今思えば、恐らく彼自身ロッシの方が速いライダーという事を解っていたでしょうし、
終盤になって追い上げてくるロッシから受けるプレッシャーは想像を絶するものだったと思います。
このレースが終われば残りは1戦という状況で、チームメイトのペドロサからのあり得ないと言える無理な追い抜き・・・(今見ると、ペドロサにもこんな頃があったんだなぁ~と微笑ましいですが)
しかも、このレースがリタイヤとなった為にロッシにポイントを逆転されたのですから・・・
普段は温厚でクール・ガイのニッキーが激高するのも無理はありません。
私だったら次のレースまでに気持ちの整理が付きません。

けど、彼は最後まで諦めなかった。
最終戦のバレンシア ロッシはポールポジションを獲得。
ヘイデンは5位からのスタートとなり、厳しい状況に置かれることになります。
しかし、対するロッシもプレッシャーを抱えていたのでしょう。
スタートでフロントを浮かせるミスを犯し、スタート直後失速。
そこをヘイデンがマシンをぶつけながらロッシの前を行くオンボードカメラの映像は震えました。
前回大変な失態を犯してしまったペドロサはヘイデンの前を引っ張りながら走り、チームオーダーが出たところでヘイデンにスッと前に道を譲ります。
ポールスタートだったのに、後方から追うロッシにもこのシーンは見えたでしょう。
ペドロサがロッシを抑え守りに徹する事も理解できていたでしょうし、焦りが出ていたのでしょう。
ロッシはその後、スリップダウンしてしまいます。

ヘイデンのサインボードにロッシが転倒したことを伝えるメッセージが掲げられ、それを見たヘイデンが大事に大事に走るんですよねぇ・・・
けど、ライトスモークのシールドを使っていたもんだから、目つきが凄いんですよ。
集中してるようでもあり、追い込まれているようでもあり、人間がマジになった時の顔そのものです。

若い人はヘイデンの訃報をSNSで見て、ヘイデンが泣いてる写真を目にする事が多かったと思うでしょうが、こういうプレッシャーと戦っていたからなんですよね。


プレッシャーから解放された安堵とトップになった嬉しさと、俺はやったぞ!!って色んな涙があるんですよ。この一枚は・・・

実は彼、Motogpを13年間走っていたんですが、通算成績は2005年に1勝、年間チャンピオンに輝いた2006年に2勝の合計3勝です。

ヘイデンの優勝で2006年のMotogpは幕を閉じ、2007年からはマシンが800ccになり、車体も小さくエンジンパワーが小さくなり、ヘイデンの豪快かつ緻密にスライドをコントロールし走るスタイルは800ccのバイクでは通じなくなってしまいます。
それに加え、800ccになったばかりのRC212Vは戦闘力でも劣っていました。
その後、ドカティへ行ったかと思えば、ストーナー以外のライダーには乗れるような物でなかったり、800ccのマシンにも慣れてきたかと思ったらバイクが1000ccになったり、その後ホンダに戻ってくるのですが、ヘイデンに割り当てられるバイクって何故かいつも遅いんですよ。
けど、ヘイデンは諦めないんですよね。
電子制御やバイクの小型化が進み、大きなバイクを緻密にスライドさせながら巧みに操りながら乗る時代はとっくに終わって、ヘイデンの武器は無くなった訳なんですけど、彼は諦めずに淡々とその時できることをやるんです。
腐らずに真剣に時に笑顔を振りまいて・・・

ホンダに帰ってきて、市販のRCV1000Rが割り当てられて、当時 副社長でHRC総監督の中本さんに「RCV1000Rは事前のテストライダーの走行ではRCV213Vのラップタイムよりもわずかに0.3秒遅いだけ。」と言われるも、いざ乗ってみたらストレートだけで0.5秒遅く、1周のトップ勢との差は2秒近くもあという始末・・・
ヘイデンはそれでも腐らずにRCV1000Rで走るんですよ・・・
2016年からWSBKに行くも、他のメーカーのマシンはモデルチェンジしてるのにずっとCBRだけはモデルチェンジしてない車両。
ホンダのバイクが遅いことに不満を持ってホンダからカワサキに移ったジョナサン・レイはマシンが変わっただけで総合優勝。
それでも今年は新型マシンになるって解っていたし、世界中の誰もがヘイデンが史上初のMotogpとWSBKのダブルタイトル獲得を応援していたのに・・・
新型になっても遅いCBR1000RRに私もしびれを切らしてつい


なんて事を呟いてしまう始末。
それでもきっと、今年はシーズン中盤になってきたらバイクがきっと良くなってきて、来年こそはチャンピオンと思った矢先のこの事故。
記事の初めにも書きましたが、事故の起きた丁度1年前の2016年5月17日に恋人ジャッキー・マリンと婚約してたんですね・・・



5月29日(月)午後、ケンタッキーのオーエンズボロ市でニッキー・ヘイデンの葬儀が行われました。
恋人であるジャッキー・マリンさんが葬儀の後、ソーシャルネットワーク上に以下の追悼文を公開ました。



貴方の笑顔を夢に見ます。眠っている時だけでなく、いつでも見るのです。
5月17日の朝は、私にとって特別なものになってしまいました。思い出として、特に残る朝になってしまった。
神様は貴方が最後の時間をどんな風に過ごしていたか、注意深くご覧になっていたでしょうね。貴方が私と最後の時間をどんな風に過ごしていたのか…本当に頑張って、私のことをどれだけ愛しているかを見せてくれていたのだから。
自転車に乗って出かける前にしてくれた最後のキスは、いつまでも忘れないでしょう。
ニッキー、私のソウルメイト、逝ってしまった時に私の魂まで持って行ってしまった。そのままにしておいてくれていいわ。そして、いつかまた出会ったら、私の手を握り、家まで送って行ってね。
貴方が恋しい。また会う日まで。


ヘイデンの死を悔やみ、多くのライダーやドライバーからもTwitterにメッセージが寄せられました。

ケーシー・ストーナー(元MotoGPライダー)
「あなたを知ることができたということは、僕の特権だった。その時間に、感謝している。今この時、彼の家族のために祈っている。あなたが恋しい」

マックス・ビアッジ(元MotoGPライダー)
「さようならニッキー。君を失ってしまうなんて、虚しさしかないよ。グッバイ ニッキー ! 君が恋しい」

マルク・マルケス(MotoGPライダー)
「僕はそのニュースの後、打ち砕かれた。僕たちは絶対にあなたのことを忘れない」

ダニ・ペドロサ(MotoGPライダー)
「いつも心の中にいる。ニッキー、安らかに」

アレックス・マルケス(Moto2ライダー)
「伝説は、決して消えることはない。あなたはどこにいても、常に全開で走り続けるだろう」

マーク・ウェーバー(元F1&元WECドライバー)
「正直で、真に素晴らしい人だった。友人よ安らかに」

ロリス・カピロッシ(元MotoGPライダー/ドルナスポーツ、アドバイザー)
「安らかに。さようならニッキー・ヘイデン」

アレイシ・エスパルガロ(MotoGPライダー)
「嘘だろ……これまでの人生の中でも、付き合いやすくて良い人だったのに! 大好きだよ、ニッキー!…」

アレックス・ロウズ(WSBKライダー)
「一緒にレースできたことを光栄に思う! バイクの才能のあるナイスな人だった! 誰もが別れを惜しむだろう! RIP」

フェリペ・マッサ(F1ドライバー)
「安らかにニッキー。ご家族の心中お察しします」

デイル・アーンハート・ジュニア(NASCARドライバー)
「ニッキー・ヘイデンが亡くなったというニュースを見て悲しみを覚えた。彼に会えたことを光栄に思う。ご親族や友人にお悔やみ申し上げます」

ジェンソン・バトン(F1ドライバー)
「とてもショックな出来事だ。良い人だったのに、あまりにも早く亡くなってしまった。辛く苦しいこの瞬間に、僕は親族や愛する人の心に寄り添いたい」

ダニカ・パトリック(NASCARドライバー)
「ああ、人生とは儚いものです。日々あなたを想いながら生きています」


ホルヘ・ロレンソ(MotoGPライダー)
「とても悲しい。人生において、こんな残酷なことがあるなんて信じられない。ニッキーの家族や友人に、お悔やみを申し上げます」

ファン-パブロ・モントーヤ(インディカードライバー)
「安らかに、マイフレンド! 彼の家族や友人に想いと祈りを捧げます」

カル・クラッチロー(MotoGPライダー)
「全てのオートバイレーサーと世界中のファンは、あの男を想って空を見上げるんだろう。無論僕もだ……」

マーベリック・ビニャーレス(MotoGPライダー)
「彼は史上最高の友達だ。ニッキー・ヘイデン、安らかに」

アンドレア・イアンノーネ(MotoGPライダー)
「謙遜的で、面白くて、プロフェッショナルで、強い男だった。君は本当に良い人だった! 誰もがニッキーを惜しむだろう!」

マックス・フェルスタッペン(F1ドライバー)
「僕の想いは、あなたの家族や愛する人たちと共にある。R.I.P」

マーティン・ブランドル(元F1ドライバー)
「なんということだ。ニッキー・ヘイデンが亡くなったなんて悲しい。他の多くの人と同じように、素晴らしい熟練した人生を過ごしていたのに、何かがそれを奪い取ってしまった」

ルイス・ハミルトン(F1ドライバー)
「親愛なるニッキー。君がいなくなると寂しくなる。神の御手に抱かれますように。そして、あなたは永遠の僕らの心の中で生き続ける。あなたと、あなたのご家族のことを想い、そして祈りを捧げます」

フェルナンド・アロンソ(F1ドライバー)
「なんて悲しいニュースだ。彼は、僕がモーターレースのシーンで出会った、一番素晴らしい人物の一人だ。安らかに、ニッキー」



本当にニッキーが色んな人に愛されていたことがわかりますね。

最後にMotogp公式さんより追悼動画が公開されましたので貼っておきます。


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