構造と進化を知って上手くなろう カウル編1

バイクにフェアリングを付ける、フルカバード化するというアイディアは第二次世界大戦以前の昔からありました。

それらのアイディアが最も活用されたのは、速度記録車のジャンルです。

言うまでもなく、バイクの最高速を高めるためには、最高出力の向上と、空気抵抗を極限まで小さくする努力が必要です。
速度記録車の形状自体は、今も昔も大きな違いは無いと言えます。
直進性を高めるためにロングホイールベースで設計されたシャシーを覆うように設計されたフェアリングはまるで翼の無いロケットのような形状にデザインされています。

速度記録者のような特殊な形状ではなく、一般的なバイクのシャシーにフェアリングを装着する試みがなされたのは、ロードレースの世界でした。


世界ロードレースグランプリ黎明期の1950年代にイタリアのモト・グッツィ、ジレラ、MVアグスタ、モンディアル、ドイツのNSUは、積極的にフェアリングの導入に取り組み、その効果を数々のタイトルの獲得と言う形で実証しました。
たちまちプライベーター達にも普及したフェアリングは、最終的にダストピンフェアリングと言う形状に発展します。


前輪までを覆うこのフェアリング形状は、ロードレーサーの最高速向上に大いに貢献しました。しかし、横風に非常に弱く、事故も多発したためにGPを統括するFIMにより、1958年からダストピンフェアリングを禁止しました。
以降、常に最新技術が投入されるロードレースでは、今日のデザインへと通じてきたのです。


一方、フルカバード化については、量産車のフルフェアリング採用よりも歴史が古いです。
その主な狙いは空力的な事ではなく、油まみれとなる機関部を覆い隠し、泥水やほこりを跳ね上げる車輪も覆い隠すことで、ライダーを汚れから守るのが主眼でした。
そしてもう一つの狙いは、既存のバイクには無い、未来的なデザインによって新規性をアピールすることでした。
従来の顧客層であるライダー以外のバイクに乗らない人たちの興味を引く新規需要として、これらの多くは模索されました。
第二次世界大戦前にもその例は少なからずありますが、フルカバードや一部カバーのモデルがまとまって登場したのは、1950年代から1960年代にかけての時代でした。

アエルマッキ キメラ

トライアンフ バスタブモデル



ベロセット Veeライン



ビンセント ブラックプリンス


これらはいずれも成功作と呼べるまでの評価は得られませんでした。

ライダーの多くは今も昔も保守的で、バイクらしい軽快感に欠けると敬遠したのです。
そして、非ライダー層にもカバードバイクに興味を示すことはありませんでした(笑)

最近ではスズキの1992年に発売されたコレですかねw↓


レプリカブーム真っただ中の時にイタリアのオシャレっぽいバイクを出したつもりなんでしょうが、なんか違う・・・・
しかも販売価格が68万8千円で、NSR250R SEが66万円・・・・
流石スズキはやることが ズレてます。 違います。
話がそれましたが、2へ続きます。




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